人参ジュースの開発ストーリーをノンフィクション風の読物にしました
彼はもうかれこれ、六千二百五日も朝食を食べていない。腹が減っては戦ができぬというが、自分の中の目に見えない敵と闘うには、身軽でなければならない。
愛媛県の田舎町で生まれ育った順造さんは、幼い頃から身体が弱かった。今、八十六歳にして全て生え揃った自分の歯で石のように固い芋けんぴやらせんべいやらを頬張っているのは、特段奇跡などではない。常に自分の身体と向き合い、健康にいいといわれるものは何でも試してきたからである。
今から二十年程前、順造さんの朝食抜き生活はある本との出会いから始まった。健康をテーマにした大抵の本には
「朝食は食べろ」
と書いてあるが、その本には
「朝食は抜け」
と書いてあった。
「東京の大学の偉い先生の言うことやからええ加減なことはないやろう。やってみるか」
一ヶ月程実践してみるとすぐにその効果がわかった。身体は軽くなり、不要なものがよく出ていく。
「これはすごい! もっと探求すべきや」
この健康法についてさらに調べていくと、断食プログラムに参加できる〝断食道場〟なるものが日本の各所にあるらしい。早速パソコンを立ち上げ近所から探してみたが、次第に入力する手が重くなる……。
「たかが断食で、ここまで厳しくせなあかんのか」
どこを見ても〝外出不可〟〝起床は朝六時〟など断食中の行動が厳格で、とても行く気にはなれなかった。
それから数日、いつものように軽やかに本を読んでいたときのこと。急に手を止めた順造さんは、ある一文を思わず声に出して読み上げてしまった。
『私は以前、断食道場というところに行きまして――』
「ほぉ、この人も断食道場に行ったことがあるんか!」
そこは、有名な医学博士が運営している伊豆の断食道場だった。
「風呂は何回でも入れるし行動も自由! 最高やなぁ!」
それまで散々他の断食道場を調べていたので、決断するのにそう時間はいらなかった。静岡の伊豆は大阪からは少し遠かったが、早速次の土曜日から泊まりに行くことにした。
片道四時間かけて最寄りの伊東駅に着いた頃にはもう夕方だった。そこからバスに乗り、田舎道をさらに二十分ほど進んだ。いよいよバス一台がやっと通れるほどの山道に差し掛かった頃、一棟のレンガ調の建物が見えた。
「ようこそ松様、お待ちしておりました」
清潔な白い衣服に身を包んだ受付の女性が丁寧に挨拶し、施設を案内してくれた。
「綺麗やなぁ。いつも出張で泊まるホテルか、それ以上の設備や」
思った以上に過ごしやすそうな雰囲気で、順造さんは少し胸を撫で下ろした。
「ちょっと前から朝は食べてないんですが、本格的な断食は初めてで……。大丈夫ですかね?」
「当施設の断食は院長の石原先生が考案した安全な健康法ですので、ご心配はいりませんよ」
「そうですか。よかった」
胸につかえていた不安が消え、とても前向きな気持ちになれた。今日から九泊十日、いよいよ順造さんの断食生活が幕を開ける。
続く。