第六章 もっとたくさんの人に

人参ジュースの開発ストーリーをノンフィクション風の読物にしました

 「冷やしてお飲みください。私は氷を入れて飲むのが大好きです」
これは順造選ジュースが発売されて以来、瓶のラベルにずっと書かれている言葉である。たくさん宣伝できる大きな会社ではないので、ラベルで想いを伝えようと順造さんは思ったのだ。店頭に並んだ瓶のラベルを見て、足を止め、手に取ってもらう。そんな方法で徐々にファンを集めていった瓶入り人参ジュースだったが、一人の男によってその行く末は大きく変わることになる。

 「ニュージーランドの人参を使って、ほんまに凄い人参ジュースができたけど、もっとたくさんの人に飲んでもらいたいなぁ。何かエエ方法はないんか」
「せやなぁ。置いてもらえる店も段々増えつつはあるけど……」
順造さんの隣で頭をひねるのは、息子の賢児さん。親父の〝人参ジュース開発奮闘劇〟を一番近くで見てきた男だ。
「それやったらオヤジ、通販やったらどうや? 直接お客さんに届けんねん」
「オォ、通販か! それはおもろそうやなぁ。やってみよう」
これを契機に二〇〇七年二月、順造選ショップが誕生。順造さん自慢の人参ジュースが直接お客さんのもとへ届けられることになった。

 通販を始めて何よりも嬉しかったこと。それは、ラベルでしか語れなかった想いを、手紙やカタログで直接伝えられることだった。こちらから語りかければ、有り難いことに返ってくる声も多いのだ。順造さんと賢児さんをすこぶる驚かせたのは、〝順造さんの断食体験〟への反響。なんと、順造さんと同じく「毎朝の手作りに断念した」という人がかなりの数いたのだ。
「ワシと同じで、手作りを諦めた人がぎょうさんおるんやなぁ。ビックリしたわ」
「ほんまやなぁ。ウチの人参ジュースでこんなに喜んでもらえるとは。嬉しい限りや」
右も左もわからない状態で始めた通販だったが、スタッフたちの熱意もあり段々とお客さんが増えていった。順造選ショップ誕生から七年後の二〇一四年十月、長年ジュース作りに関わってきた順造さんは、社長職を賢児さんに譲ったのであった。

 賢児さんが社長に代わってからも、人参ジュースの売れ行きは好調。全て良い方向に転がっていたのだが、賢児さんはどうにも腑に落ちないものを抱えていた。人参ジュースを見ていると、父・母の「どっこいしょ」という声を思い出すのだ。
冷蔵庫から重い瓶を取り出し、キャップを開けてコップに注ぐ。注ぎ終わったらまたそれを冷蔵庫に戻す。年齢を重ねた両親からすれば、これだけでも大変なのだ。空き瓶だって数本溜まれば立派なダンベルに変身する。
「父さんも母さんももう歳やし、瓶は大変そうや……。美味しさと品質は同じで、誰でも飲みやすいジュースがあったらエエねんけどなぁ」

「よっしゃ! こうなったら、俺が作ったろやないか‼」

飽くなき探求の果てにたどり着いた原料と味。そして、品質を保つためにこだわり続けた瓶容器。その人参ジュースを進化させるべく、父の想いを受け継いだ賢児さんの〝人参ジュース開発奮闘劇〟が今始まった。

続く。

通販開始当初のカタログ