大阪市西区 靭公園の知られざる魅力(2017.07)

今回は私たちの事務所からすぐ近くにある靭公園(うつぼ公園)をご紹介します♪

「うつぼ」の名づけ親は豊臣秀吉

かつて魚市場や塩干魚問屋街として栄えていたこの地域で魚商人たちの「安い、安い!」という掛け声を聞いた秀吉が、やす(矢巣)、別名「靭」という矢を入れる道具を連想し洒落を言ったことから、「靭(うつぼ)」という地名が付けられたそうです。1931年に大阪中央卸売市場ができるまで市場として賑わい、その後も商いは続けられました。

細長い形は滑走路があったから

1945年3月13日の大阪大空襲で焼け野原となり、終戦後約6年間は進駐軍の連絡飛行場として利用されました。東西に細長い形は滑走路の名残だったのです。返還後、区画整理により1955年10月に靭公園として開園し、今では緑豊かな都会のオアシスとして私たちを癒してくれています。

周辺を散策 ①大塩平八郎終焉の地碑

武士・農民を率いた反乱の後、潜んでいた所を包囲され自害したといわれています。

周辺を散策 ②楠永神社

海産物市場があった頃から立つ樹齢300年の楠がご神木として祭られています。

周辺を散策 ③永代浜跡

1624年に開削された海部堀川(かいふぼりがわ)の海産物荷揚げ浜として賑わったといわれています。

靭公園マップ

マップを見ながら靭公園を歩いてみよう! PDFで表示する